日本ではVIC関連の情報がほとんど手に入らなかった時代
日本ではゲームをはじめ、VICに関する情報はなかなか入手できませんでした。そんな中で、私が頼りにしていた情報源を振り返ってみます。
📘 情報源その1:Compute’s Gazette(洋書)
厚さ7〜8ミリほどの雑誌で、毎月1回、三省堂書店の洋書売り場まで電車で30分ほどかけて買いに行っていました。価格は1,300〜1,500円。行くたびに値段が変わるので、13歳にして「為替レート」というものを自然に覚えました。
もちろん英語の記事はほとんど読めませんでしたので、主にゲーム紹介のページだけを眺めていました。
👥 情報源その2:コミュニティ
どこで知ったのかは覚えていませんが、「VICの会」というコミュニティがあり、年会費を払うと会報(もちろん紙)が郵送されてきました。そこにはVIC関連の情報や、先述の「パイナップル6502」の情報などが掲載されていました。
会員の中には、中学生にして日本語ワードプロセッサを作った強者もいて、フロッピーディスクでソフトを送ってもらったこともあります。
その後、運営組織は変わりましたが、大阪を拠点とする「Commodore Fan Club」が誕生し、活動は受け継がれていきました(これについては別途詳しく書きます)。
📚 情報源その3:日本のコンピューター雑誌
ほとんどが月刊誌で、マシン紹介や広告のほかに、ユーザー投稿のプログラムが掲載されていました。ユーザーは自分の機種用(私の場合はVIC用)のBASICやマシン語のプログラムを手入力し、TAPEやFDに保存して遊ぶのです。
Commodoreが日本から撤退した後も、一定数のユーザーがいたのでしょう。VICのプログラムも掲載され続けていました。多くはゲームでした。
私が買って入力していた雑誌は以下の通りです。
- マイコンBASIC Magazine ※別冊には、友達と作った「Pole Positionの音楽を流すプログラム」が掲載され、原稿料として小切手で9,000円をいただきました。
- PIO(Meteor Fightは素晴らしい出来だった)
- I/O
私たちの世代は、こうした雑誌のBASICを入力し、適当に弄り、マニュアルを読みながら自然とプログラミングの基礎を覚えていきました(気づいたら2進数も理解していた)。ただ、毎号VICのプログラムが載るわけではなく、次第に掲載頻度は減っていきました。
🤝 情報源その4:Commodore Fan Clubなど、ユーザー同士の交流
私が16歳(高校1年生)の頃、C128を使っていた時期のことです。 Commodore Fan Clubの会長やメンバーが東京に来るということで、秋葉原のホテルのロビーで会いましょうという話になりました。
ただ、私にとっては初めての交流で、しかも相手は大人ばかり。1人で行くのは躊躇し、高校の友達2人に付き合ってもらって参加しました。
メンバーはゲームなどをたくさん持ってきてくれて、私は「それも欲しい」「あれも欲しい」と言いながら、山ほどソフトをいただきました。その中には Commodore 64版のXEVIOUS や GEOS もありました。
その後、Amigaの時代になってもフォーラムや小さなミーティングを開催し、情報交換をしたり食事をしたりして交流は続きました。40年ほど経った今でも、当時のメンバーとはFacebookグループで話したり、実際に会ったりしています。
メンバーには、中学校の先生、大学教授、公務員、家具職人、IT企業の経営者、職業不明のサーファーなど、実にさまざまな人がいました。しかし、会合の時はみんなただの友達。私は最初は16歳の少年でしたので、本当にかわいがっていただきました。
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