私は16歳になり、またもや両親にCommodore 128を買ってもらいました。 「公立高校に合格したら買ってあげる」という約束だったのです。
ただ、本当は Amiga 1000 が欲しかったのです!
1985年頃、月刊誌 LOGiN では海外ゲームの記事がよく紹介されており、そこでAmigaが取り上げられました。Commodoreの名前が雑誌に載るだけで興奮したのに、その記事は「とにかく凄いマシンだ」という内容。しかも名前が “AMIGA”。その響きだけでカッコよく、一発で心を奪われました。
ところが……前述の通り、日本ではAmigaを正式に販売している店はなく、例の「パイナップル6502」が並行輸入しているだけ。その価格は 約60万円。とても買ってもらえる値段ではありませんでした。
そこでAmigaは諦め、Commodore 128を買ってもらうことになりました。価格は約12万円ほどだったと思います。
C64との出会い(しかし日本ではほぼ見かけず)
Commodore 64は、コモドール・ジャパンが正式に代理店を通じて販売していたはずですが、私は店頭で見た記憶がありません。
「パイナップル6502」で存在を知ってはいました。 たまたま一緒に店へ行った中学生の友達は、C64で動く Raid on Bungeling Bay を見て驚いていました。私は知りませんでしたが、ファミコン版も出ていたそうで、それよりもずっと迫力があったからです(確かに今見てもオープニングは迫力がありますね)。
C128が届かない!そしてGO64の日々へ
無事に公立高校に合格しましたが、なかなかC128は届かず、何度もパイナップル6502に電話をしたのを覚えています。
届いてからは、ひたすら GO64 の日々でした。
あまり記憶はありませんが、VIC-1540ではC64のディスクが読み取れず、VIC-1541のROMへ交換したような気がします。そんな知識は当時の私にはないので、おそらくパイナップル6502でやってもらったのだと思います。
C128時代はゲーム入手が少し楽に
Commodore Fan Clubやパイナップル6502で知り合った方々とゲームの貸し借りもしていたので、VIC-1001の頃よりはだいぶゲームの入手が楽になりました。
とはいえ、当時は日本でコンピューターを趣味にしている人自体がごく僅か。手紙や荷物を送り合って遊んでいた時代です。
そして、Commodore Fan Clubの人たちと、秋葉原のワシントンホテルのロビーで会うことになります。
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