「そうだ!ローンで買えばいいんだ!」
そう思ったのは17歳の時でした。当時、私は月に7,000円のお小遣いをもらっていました。
最初は約60万円もしたAmigaですが、秋葉原の「オークビレッジ」では 31万5千円 で売っていました。毎月7,000円の 45回ローン なら買える計算です。お店に電話しても「大丈夫ですよ」と言われました。
しかし、これは完全に無謀な計算です。お小遣いすべてを45回も支払えるわけがありません。肝心なところは覚えていませんが、どう考えても親が負担してくれたはずです。
とにかく、17歳にして Amiga 1000を手に入れました。
🎮 初めて買ったAmigaのゲームは「HARDBALL!」
「ゲームを1本サービスしてくれませんか?」と聞いてみましたが、答えは「ダメ」。 そこで自分で HARDBALL! を購入しました。
特に野球が好きだったわけではないのですが、なぜかそれを選びました。でも家で遊んだ時、音が凄い! と本気で驚きました。パイナップル6502でAmigaを見せてもらったことはありましたが、家で聞くとやはり衝撃が違いました。
🖥 Amigaでやっていたこと
最初はお金もなかったので、付属の Amiga BASIC を使い、学校で習ったグラフを描いてみたり、簡易ペイントプログラムを作って絵を描いたりしていました。
自作のペイントプログラムで描いた絵や、友達が描いた絵、面白いPDSを詰め込んでFD1枚に収めた “Filet-O-Fish” などを何枚か作り、希望者に無料で発送したりもしました。
その後、X-COPY や Marauder なども手に入れてしまったので、コピーで入手したソフトも多くありました。STEPという安売り店にFDを100枚買いに行ったことも何度かあります。もちろん、正規に購入したソフトもたくさんありました。
自作ペイントプログラムで描いた絵や、友達が描いた絵、面白いPDSを入れてFD1枚に収めた "Filet-O-Fish"なんかも何枚か作って希望者に無料で発送したりしました。
その後X-COPYやMarauderなんかも手に入れてしまいましたので、コピーで手に入れたものも多くありました。STEPという安売り屋にFDを100枚買いに行くことも何回かありました。もちろん正規に購入したものも多く在りましたよ。
🌍 Amigaがつないだ「国境を越えた交流」
Commodore Fan ClubのメンバーもAmigaを使っていましたし、草の根BBSで知り合った 元米軍で日本在住の方 とも交流があり、ソフトの交換をよくしていました。
普通、高校生が外国人と知り合って家に遊びに行くことなんてまずありませんよね。 Commodoreのおかげで、私は本当に色々な人と交流を持つことができました。
🦠 初めてのコンピューターウイルス体験もAmiga
私が初めてコンピューターウイルスに出会った(!?)のもAmigaでした。
画面が突然溶けてしまったり、挿入したFDが次々と破壊されたり……。 日本でコンピューターウイルスが広く報道されたのは1989年9月ですが、私はその 2年前には感染 していました。ちょっとした自慢です。
ちなみに Tetris も日本に入ってくる前から持っていましたが、遊び方が分からず放置していました。
📞 初めてBBSにアクセスしたのもAmiga
1200ボーのモデムとアナログ回線を使い、初めてBBSにアクセスしたのもAmigaでした。知り合いの元軍人さん(がBBSのホストをしていたので、そこで数十分かけて、あの有名な “Juggler” をダウンロードしたりしました。しかし当時の電話代は高く、1か月に何万円も請求が来て母親に驚かれ、注意されました(そして後にもう1回やってしまいます)。
🎨 海外と同じようにAmigaを使っていた日々
Amiga 1000でやっていたことは、海外のユーザーとほとんど変わらなかったと思います。
- Deluxe Paint
- DegiView
- Instant Music
- 各種ゲーム
- グラフィックソフト
- 音楽ソフト
雑誌 LOGiN にもAmigaの記事がよく載っていましたし、Nifty-Serveで知人とやり取りもできたので、情報に困ることはありませんでした。
ただし、学校の友達や身近な知人でAmigaを持っている人は……もちろんゼロ。 やはり日本ではマイナーな存在でした。
それでも、VIC-1001やCommodore 64と違い、Amigaは「凄いマシンだ」という認知がコンピューターマニアの間では確かにありました。
コメント